私と過食症 ~卒業への道~

体重=自己価値でした。

過食症専門カウンセラー鈴木麗奈の「過食症の物語」をご覧ください。

今思うと本当に長く辛い道のりでしたが、乗り越えた今は自由に美味しく食べ、生きることに喜びも感じています。

人生の中で起きる「暗闇の時期」は、人としての成長・魂の成長のために、必要なものなのかもしれません。

 

【6歳~12歳】 過食人生の土台ができる

小学1年生のときに、同級生より少しぽちゃりしていることに気づき、「もっと痩せていたら楽しいのかな」と感じた事を覚えています。

こんなことを思ったのは、母親や祖母が太っており、よくダイエットしていたためかもしれません。残念ながら「太る」「ダイエット」というものが、人生の初めから生活の中にありました。

大好きな母親の影響

私は母親から「ときどき体重を計りなさいよ、太らないように」と言われ、何だかよくわからないままに、体重を気にすることを早期から教えられてしまいました。

また、母親は「麗奈ちゃんも将来はこう(母親の体のように太く)なるよ」と言うことがあり、とても嫌だったのを覚えています。太ることは「避けられない運命」のようにも感じました。

母親は自分自身の食生活を正して良い手本となってくれたらよかったのですが、それはできなかったようです。たくさん食べて太っては、ときどきダイエットをしていました。

私は大好きな母親がやっている「ダイエット」に、憧れを持つようになりました。6年生のときには「ダイエットの本」を買って、ワクワクしたことを覚えています。

(母親の言葉は影響力抜群です。私も知らないうちに娘を傷つけてしまう事もあると思います)

 

【12歳~17歳】 ダイエット人生の始まり

中学生になると、ときどきダイエットをしていました。甘いものを我慢したり、食事の量を減らして2キロ痩せる程度のもので、結局はリバウンドして終わっていました。

自分の価値を感じられなくなり

しかし、特に高校2年生の頃から徐々に深刻化していきます。その頃は、勉強も人間関係も部活も上手くいかなくなり、「このままではすべて失う、みんなが私から離れて行ってしまう」と、とても強い恐れを抱くようになっていました。

そんなときに、「痩せて可愛くなればもっともっとみんなに好かれて、何でもうまくいくのではないか」と、痩せること=ダイエットを、魔法の杖のように考えるようになりました。

そして、次第に「体重=自己価値」になっていったのです。

祖母も過食症だった?

中学の頃かもしれませんが、祖母が「食べ過ぎた」と言って、吐いているのを見たことがあります。私は「いけないこと」にも感じましたし、祖母の精神状態が心配にもなりましたが、母親は知っていても何も言いませんでした。

私もまだ若かったため、よくわからないまま終わりましたが、このことが、数年後に「吐いてみよう」と思うきっかけになったように思います。

祖母は本当にたくさんの愛を私にくれた人で、感謝と恩の方が大きいですし、祖母にも事情があってやっていたと今はわかりますが、このように負の遺産は受け継がれてしまいます。

 

【18歳~24歳】 過食地獄の始まり

高校3年生の受験勉強の時期に太ってしまい、大学入学後に厳しいダイエットを始めました。お弁当の量もとても少なく、すぐにお腹がすいて結局はカロリーメイトや菓子パンを食べるという、意味のない生活が始まりました。

ダイエットがどんどん過激に

その頃、国立病院ダイエットと呼ばれていた、グレープフルーツとゆで卵を中心にしたような2週間のダイエットが流行っていました。もともとそれを始めたのも母ですが。。。私もそのダイエットを行い、スムーズに3キロほど痩せました。

さらに痩せたくて、2回目にチャレンジしていた途中、「ものすごい飢餓感」から、大きなピザパンや菓子パンをおかしい勢いで食べつくしてしまったことがありました。自分を普通じゃない、尋常じゃない、と思ったのを覚えています。

その後もさらに厳しいダイエットを続けるようになり、あるとき、空腹から菓子パンを食べてしまった後で「吐いてみよう」と考えました。

はじめての過食嘔吐

「この橋を渡ってしまったら、もう元には戻れないのではないか・・・」という恐怖を感じましたが、のどに指をつっこんで吐きました。思ったほどうまくいかず、たくさんの涙、鼻水、唾液が出ましたが、何とか菓子パンも吐くことができました。

そして、悪い予感がしていた通り、その後に元の生活に戻ることはできず、少しずつ過食が悪化していきました。そしてそれから14年間も、過食(嘔吐)の地獄で苦しむことになったのです。

過食地獄と死にたい気持ち

初めの頃、私の場合はほとんど吐けなかったため、過食の後は妊婦のような大きなはちきれそうなお腹を抱えて、地獄のような時間を過ごしました。部屋中の雨戸(シャッター)を閉めて、ベッドの中で1人苦しみ、「この世から消えたい・死にたい」と本気で思うこともありました。

本当に地獄のような毎日でしたが、「私が死んだら母親が可哀想だ」と思うと死ぬこともできずませんでした。

この頃、どんな食事をしていたのか覚えていません。ただ、ほとんどまともな食事をとる事はなかったと思います。外食したときは、太りたくないために必ず残すようにしていました。もう何を食べたらよいのかわからず、食べ物=食べたいのに食べられない自分を太らす敵、となっていました。

☆この時期のことを書いた「菓子パン過食と惨めな大学生活」というブログ記事が人気でたくさんの方に読んでいただいています。良かったらご覧ください。

臨床心理士のカウンセリング

22歳のときから、臨床心理士の心理カウンセリングを3年半以上受け続けました。しかし、自己理解は深まったものの、過食の症状はどんどん悪化して行きました。

それは、「心」だけが扱われ、「食」は興味がないと言われて放置されたためです。このカウンセリングのために、1回45分10,000円×月9回×約3年半=380万円くらいを使いました。

 

【24歳~26歳】 過食嘔吐により廃人になる

ある時、「嘔吐」ができるようになりました。それまで長いあいだ夢見ていた嘔吐でした。「吐ければ何も問題ない。食べたいものを食べても太らずに済む」と思っていました。

しばらくの間は、それまで我慢してきた本当に食べたいもの(甘いもの、太りやすいもの、特に菓子パン)を過食で食べることを楽しんだとも言えます。

そして、嘔吐によりどんどん痩せることができたので、本物ではないとはいえ自分に自信を持つことができ、外(社会)に出やすくなったというメリットはありました。吐けない過食のときより、精神的に楽な面はありました。

自分の気持ちを表現することを学ぶ

おかげで、興味を持った講座やセミナーにたくさん参加しました。東京や大阪まで新幹線で行き、中でも「アサーション(自分も相手も大切にした自己表現・自己主張)」は役立ちました。

私は優しいからこそ相手を傷つけないように、自分の気持ちを我慢してしまう、、、でもそうやって溜まったネガティブな気持ち、ストレス、無力感が過食の原因になっていたのです。

ですから、まずは自分の気持ちを感じてみて、必要があればそれを相手に伝える、ということを取り組んできました。勇気が要る事でしたが、そうすることで、「無力な弱者」から「自分を大切にできる」ようになっていったのです。

過食嘔吐は悪化の一途

しかし、過食→嘔吐→ひどい飢餓感→過食という悪循環のサイクルから抜け出せず、また非嘔吐のときのように太らないために歯止めがきかず、どんどんエスカレートしていきました。

毎日2~3回過食嘔吐を繰り返し通学(社会人編入で臨床心理学を学んでいたとき)のために使っていた車の中は、菓子パンやアイスクリームの袋やコンビニ弁当の容器などでぐちゃぐちゃになっていました。

過食に使った大金・・・

1度に3,000円×3回=1日9,000円の過食費用がかかることもありました。毎日2~3回の過食をしていましたので、ひと月に180,000円ほどは過食していた時期もあります。。

恐ろしい金額です。1年でいくら使ったか、考えたくもありません。。。貯金もなくなり、バイト代も全て過食に消え、最後には母親に買ってもらっていました。

それだけのお金があれば、今思えばもっと有意義なことに使った方が良かったのですが、その当時はそんなことも考えられませんでした。

とても自立していました。

こんな生活でも、大学に通ったり、バイトをしたりと、今思うととても頑張っていたと思います。とても「自立」していました。今より自立していたかもしれません。

しかし、その「自立」も今思えば問題でした。人に助けを求めず、頼らず「自分ひとりの力で何とかしなければならない」という思いがとても強かったのだと思います。

その一方で、か弱くなりたかった。

家にはウォーキングマシーンやステップマシーンがあり、海外ドラマを見ながら運動していました。その頃は韓国ドラマに出て来たような「病気がちで細くて、弱くて守ってもらわなければならない女の子」に憧れていました。

今思うと、私は本来そういうタイプではないのですが、社会で生きていくことににあまりに自信喪失していたために、強い男性に守られて生きていきたいという思いが強くなっていたのかもしれません。

コーチングとの出会い

この頃は、臨床心理士のカウンセリングに限界を感じてやめてしまい、コーチングスクールに通っていました。「望む未来」のために前に進むコーチングはとても楽しく、人生を変えるきっかけとなりました。良い仲間にも恵まれて、社会に希望を持つことができるようになりました。

 

【26歳】 過食症の「転機」

毎日2~3回の過食嘔吐を続けた結果、私は廃人のようになりました。思考力・集中力・判断力、すべてがなくなり、世界は灰色のように感じました。頻繁に頭痛も起きていました。

宿泊型治療施設

「もうこのままではダメだ」と私の中の何かが感じていました。そこで最後の手段として、今はもうありませんが、他県にある「宿泊滞在型の過食症治療施設に入ることにしました。3ヶ月分で90万円払いました。

そこは、本を出版しており、滞在中にどんなことが経験できるかが書かれていましたが、実際に行ってみるとその通りではありませんでした。

非常に厳しい監視の中での生活であり、本に書かれていたような調理体験や入浴もできず、お手洗いさえ(隠れて嘔吐しないように)ドアを開けた状態で用を足さなければなりませんでした。

最後の手段の挫折・・・

今思えば、それは重症の人もいるためであり、色んな問題が起きる度に規則が厳しくなっていったのではないかと思います。しかし「自由と尊厳」が大切な私にはまったく合わない環境でした。

また、先生が年配であったこともあり、「先生が正しく、生徒はそれに従わなければならない」というあり方も私には合いませんでした。私にとって大切な「必要な答えはその人自身の中にある」ということと正反対の性質ですから。

私は1ヶ月半でそこを去ることにしました。去る時には先生から「ここを去るものは苦しみ続ける」というようなことを言われて、とても傷つきました。

あのときは、「私の忍耐が足りないのかもしれない」と思いましたが、今思えばそれでよかったと感じています。私の中の何か(答え)が「NO」と感じたのですから。

ふたつのギフト

でも、そこで学ぶことができたことあります。ひとつは、「食べ物・食べることに対する意識が高くなったこと」、そしてもうひとつは「お出かけを楽しむことを覚えたこと」です。

それまでの私は、食べ物=自分を太らす敵でしたし、興味があるのはダイエットだけで、お出かけを楽しむなんて発想は皆無に近かったからです。

このふたつを学べたことは本当に価値があり、その施設で非情に辛く苦しい思いをしてでも得る必要のあった事だと感じています。

私も支援者となった今、支援者も完ぺきではなく、あの先生も、あの時代での精一杯の知恵(そして私の人生を変えるほどの知恵)を教えてくれたのだということがわかり、感謝しています。

丸坊主になった私・・・

ちなみに、私はここで、丸坊主になりました。それは頭にお灸をするためであり、強制されたわけではありませんが、私は少しでも効果を上げたかったので、決意しました。26歳の女性が丸坊主になる。それほどまでに、私は真剣だったのです。

毎朝起きると、窓から差し込む美しい朝日の下で、床に新聞紙を広げてしゃがみこみ、右手に「ハサミ」、左手に「手鏡」をもって、前日より数ミリのびた髪の毛を挟みでカットしていました。。

 

⇩⇩ここから書き加えました!

【26歳~28歳】

宿泊型治療施設にいた1.5ヶ月は一度も過食をしなかった私ですが、去った後しばらくして、やはり過食をするようになりました。

犯罪者のような私

ちょうど自宅の周辺の下水工事が終わったところで、トイレに吐くと何か問題が起きるかもしれないと思うようになり、近くのスーパーに吐きに行ったこともありました。

でも、もし巡回している警備員さんにでも見つかったら「犯罪者」になってしまうと思うと、とても恐ろしくて、結局は自宅で吐くようになりました。

トイレに流すのが恐くて、部屋で買い物袋に吐いてゴミに出してみたこともありましたが、「不法投棄」で捕まった人のニュースを聞いたことがありましたので、それも恐ろしいことでした。

私は自分のことを良く思いようもありませんでした。最終的にはトイレに吐くようになり、近所の下水がにおう度に「私のせいかもしれない」と怯えていました。いつ「犯罪者」となるか分からない日々でした。

大きな転機は真夜中に!

それでも、「食」に対する意識が高くなったおかげで、吐かない食事では栄養バランスを大切にするようになっていきました。そうして、少しずつですが、回復への準備が整っていったのかもしれません。

そして、ある日のことです。大きな転機を迎えました。いつもと同じように過食して嘔吐して、夜の眠りについたのですが、夜中に突然目が覚めました。あまりに空腹だったのです。

そして私は思いました。「もうこんなことをしていられない!」と。

自分の部屋を出ると、階段を駆け下りてキッチンに向かい、炊いてあった玄米ご飯をミキサーにかけて“即席おかゆ”を作りました。そして、どんぶりに一杯食べました。

私は吐かずに寝ました。吐いたらまた同じことの繰り返しで、もうそんなことをしていても何も変わらない、と心底思ったのです。

 

【28歳~38歳】

「その後、一生過食なしで暮らしました」というほど現実は甘くはなく、過食は続きましたが、確実に、少しずつ良くなっていきました。

過食せずに過ごせるも増え、バランスを崩して過食をしても、立ち直ることも以前と比べると早くなりました。過食してしまってもできるだけ自分を責めずに(と言っても責めてしまいますが)、できることをやり続けました。

ついに、過食地獄を脱出!

その後、完全に過食がなくなるまでには数年かかりましたが、本当に、過食なしで生きられる日が来たのです。今の私は、過食と無縁なだけではなく、太る心配もありません。

約20年のダイエット人生からしっかり学び、自分なりの「自然な体型維持」が出来ています。その点は、若いうちに苦労してよかった、とさえ感じています。

お菓子の欲求も低下

そして、今はお菓子への欲求もほとんどありません。

もう十分に食べましたし、お菓子や甘いもの得られる喜びは、本当に求めている喜びではないと感じています。本当に美味しそうなものがあれば食べますが、日常的に食べたいと感じません。

今の食生活とこれから

今は、新鮮なフルーツ、野菜、発芽玄米、大豆製品を中心に生活しており、身体が欲しがっていれば、お肉屋お魚も食べる程度です。

最近は、何も食べずに「プラーナ(気、光エネルギー)」だけで生きている人の本を読み、私もいつかそうなれたらいいな~とさえ感じています(*^-^*)

以前は「食べることは人生の喜びのひとつ」と感じていましたが、今は「そうばかりでもない」と感じています。世界にはもっと喜びを感じるものがたくさんあるように思います。

それに、食べずに済めば、食べる事に使っている時間とエネルギーとお金を、もっとやりたい事のために使えるからいいな~とも思います。それだけやりたいことがあります。

今はまだ、そこまで行きつけていないので、身体が欲する栄養を取り入れていますけどね(^-^)

こんな日が来るなんて、10年前の私には想像もできませんでした。

 

お客様の変化から思うこと

過食症専門カウンセリングのサポートでは、私が学んできたこと、気づいてきたことを、お客様に効率よくお伝えしています。そのため、3ヶ月で変化が見られ、半年から1年で過食をほぼ卒業することが可能となっています。

私が14年かけて学んだことが、同じ悩みを持つ人が苦しむ時間を短縮するために役立っている、それは私にとって大きな喜びです。誰でも、本当に必要なことを学ば、過食を卒業する日は必ず来ますよ(*^-^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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